予備校時代(6)パソコンの魅力に取り憑かれる
高校を卒業した1987年3月に、8ビットパソコンのX1turboZを買ったわけだが、まんまとこちらにもハマってしまった。
もう時効だろうから書いてしまうが、当時はパソコンソフトレンタルショップがあって、「ファイルマスター」だか「コピーウィザード」だか名前は失念してしまったが、そういうコピーツールのファイラーソフトとともにソフトを借りて、ゲームを複製して遊んでいた。
ゲームの違法コピーは現代に置き換えると、DSのマジコンみたいなもので、犯罪である。この前科は書くかどうか悩んだが、当時の学生だったら誰もが身に覚えがあるはずなので、自白することにした。
言い訳がましいが、その当時のゲームもパクリだらけで、ナムコの「ファミスタ」の選手は「くわわ」「おみあい」だし、セガの「アウトラン」のマイカーはフェラーリテスタロッサだし、「スペハリ」の敵はドムだし、「スーパー忍」にはバッドマン、スパイダーマン、ゴジラは出てくるしで、当時のゲームは著作権などお構いなしの無法地帯だった。
メーカーもユーザーも含め、業界全体がモラルというかコンプライアンスというか規範精神が低かったんだと思う。
話が少々脱線したが、オレは恐らく市販の有名どころのゲームは、ほとんど持っていたのだが、受験生ということもあり、大半は今でいうところの「積みゲー」となっていた。
それでも、その当時は「ハイドライドII」「ザナドゥ」「軽井沢誘拐案内」「信長の野望・全国版」「ジーザス」などなどをプレイした記憶がある。中でも「軽井沢誘拐案内」は面白かった。
1987年の夏に、マイコンBASICマガジン誌上でX1用の「FM音源ドライバー」が発表された。これはBASIC言語のMML(ミュージックマクロランゲージ)でOPM・YM-2151のFM音源8重和音を制御して再生させるという画期的なドライバープログラムで、これを入手してからはゲームそっちのけで、X1上でFM音源を再生させていた。
打ち込みは一晩かかるが、自分のX1からアーケードとまったく同じゲームミュージックが流れてくる快感と喜びは、格別だった。そして、ただ打ち込むだけではなく、X68000用のMMLを移植して鳴らしてみたりもしていた。
この当時は、パソコンに触ること自体が楽しかったのだ。
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