専門学校時代(2)業界人も出入りしていた新宿キャロット
プレイシティキャロット新宿店のアルバイトは学校の関係で土日だけだったが、楽しかった。
毎週土曜は遅番シフトで閉店まで働き、それから社員のKさんと一緒に歌舞伎町のつるかめ食堂で腹ごしらえをして、深夜営業のミラノボウルのピンボールコーナーで始発まで遊んで帰る、というコースが定番だった。Kさんにはピンボールの楽しさを教えてもらったし、お世話になった。
キャロット新宿店のアルバイト仲間や常連客とも仲良くなり、この時期はどんどん交友関係が広がっていった。
名古屋の予備校時代でも自分はそこそこのオタクだという自負というか自信はあったが、さすが東京はオタクの本場というか、常連客はオタク全般に造詣が深く、そして業界人(メーカーや雑誌関係者)もよく来店していた。
キャロットでバイトを始めて間もないろ、社員のKさんを通じてお客さんのOさんと知り合った。たしかこのOさん、この日は友人の結婚式の二次会だかなんだかに出席して終電がなくなったみたいで、始発までの時間つぶしにKさんたちと一緒にミラノボウルでピンボールという流れになった。
ミラノボウルをあとにして、Kさんも自転車で帰宅してしまい、オレとOさんの2人で始発までアルタ裏のマクドナルドで一休み、ということになった。
このOさん、話を聞いてみたら当時立ち上がったばかりのゲームミュージックCDレーベル、サイトロン&アートに勤めていることが判明、当時の俺からしたらこの時点で「うわ、業界人だ!」状態だった。
で、Oさんにとっては他愛のない世間話でも、オレにとっては全部業界の裏側トークに聞こえてしまうのだが、Oさんはすべての話が否定的というか、ミーハーなオレに対して現実的でシビアだった。
「あのゲーム、面白いですよね。オレ好きなんですよ」とオレが熱く語っても、「そうか? 今のゲームは粗製濫造、パクリばっかり、オリジナリティがない」と、何を言っても冷めた意見しか帰ってこなかった。
「じゃあOさんが感心するゲーム、一目置いているゲームってなんですか?」と切れ気味に聞いたら、「そうだなあ」としばらく考えて「最近感心したのは、きね子かなあ」という予想外のレスに驚いたことを今でも覚えている。
後日わかったことだが、このOさんこそ「大堀師範代」こと現・マトリックス代表取締役の大堀康祐氏で、あの「ゼビウス1000万点への解法」のうる星あんず氏だったのである。
このときばかりは、さすが東京、さすが新宿キャロットと心の底から思った。
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