予備校時代(1)ゲーセンで知り合った友人たち
高校を卒業すると、1987年4月から浪人生となり、名古屋の河合塾・千種校に通った。自宅から通えない距離ではなかったが、いろいろ考えた結果、名古屋市の上社(かみやしろ)にある河合塾の寮に入って、帰りたいときだけ実家(岐阜)に帰ることにした。
河合塾千種校の周りには小さなゲーセンが数店舗あり、オレはすぐにこの2店に入り浸るようになってしまった。
ほどなくして、オレはこのゲーセンで、同じ河合塾の生徒であるSと出会う。Sはオレよりもはるかに頭がよく、アニメ、マンガ、ゲーム、同人文化、車、コンピュータなどにも非常に精通していたので、いつも一目置いていた。
このSは海外文化などにも長けていて、例えば
オレ「車はホンダがいい」
S「オレはロータスだ」
オレ「バイクはホンダがいい」
S「オレはモトグッチが好き」
オレ「PCは88や98よりも、X1やX68000だよな」
S「いやー、MacintoshやAmigaはスゴイよ」
というヤツだった。
Sの影響で「宣伝や知名度に関係なく、例えマイナーでもいいものはいい」という選球眼が養われたと思う。特にPCに関しては、NECの88SRシリーズや98シリーズの強烈なアンチとなってしまい、MacintoshやAmigaなどの海外PCに興味を持つようになった。
そしてもう一人、溝口という友人もできた。溝口はゲームなどソフトウェアの評価基準が、家庭用よりもアーケード主義、テクノロジー大好き、ゲームミュージック大好き、新機軸・画期的発明大好き、二番煎じ大嫌い、という部分がオレと非常によく似ていて、前述のS、溝口とよくつるんでいた。
ちなみに溝口は、のちにナムコに就職して、長野や浜松などの地方のロケーション(ゲーセン)担当から栄転を繰り返して、あのプレイシティキャロット巣鴨店店長を経て、現在は池袋餃子スタジアム(現ナンジャタウン内「ナンジャ餃子スタジアム」)にて餃子店舗の出店交渉を担当している。溝口は、上京前の十代のオレを知っている、唯一の在京友人だ。溝口、見ているかー? 久しぶりにメシでもいこうぜ。
とにかくこの予備校時代の1年は、Sや溝口とつるんでアーケードゲームを遊びまくった。
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