専門学校時代(9)人生を変えたパソコン通信
1989年、オレはMacintosh Plus用の40Mバイト外付けHDDと2400bpsのアナログモデムを購入してパソコン通信デビューした。
パソコン通信での交流は原則コテハンで、各ネット(ホスト)ではさまざまな掲示板で活発な意見や情報が交わされていて、とても刺激的だった。
上京して2年目の当時のオレは、とにかくゲーム業界への憧れが強く、フリーライターのM氏からゲームの開発者やライター、いわゆる「業界人」が集まっている某草の根BBSを教えてもらい、そこで元Beepのライター、氷水芋吉と知り合った。
氷水芋吉は、当時「いもっき」というハンドルネームで活躍していたので、そのほうが呼び慣れているのでこのブログではいもっきと呼ばせてもらう(いいよね?>いもっき)。
いもっきは、かつてのゲーム雑誌Beepでは名が売れていたライターで、しかも知り合った当時はセガのアーケード(AM)研究開発部に所属、おまけにピンボールが大好きで、さらにはMacintoshユーザーということもあって、非常に共通点が多く、ネット上でもすぐに打ち解けて、オフラインで会ってからもすぐ意気投合した。
たしか最初の待ち合わせも、新宿キャロットのピンボールの筐体前だったと思う。
Beepの花形ライターとして活躍したのちにセガのAM研究開発部に就職したいもっきは、Macも仕事やプライベートでスイスイと使いこなしていて、ゲームやコンピュータテクノロジーに関する知識もスキルも、オレの目からはプロ級(というかプロ)に輝いて写り、彼からは多大な影響を受けた。
3つ年上で業界でも先輩なのに「呼び捨て&タメグチでいいよ」と性格も気さくで、ほぼ毎週のように新宿で遊んでいた気がする。
「○○ネットの○○掲示板によく書き込みしている○○ってハンドルネームのあいつも、じつは○○のメーカー社員なんだぜ」「おお、そうなんだ。じゃあ会いたい! 呼んだら面白いかも」という気軽なノリで声がけをして、オレが幹事となって月イチくらいで飲み(オフ)会を主催していた。
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