高校時代(3)ファミコンブーム到来
1984年当時は電波新聞社が8ビットパソコン向けにナムコのアーケードタイトルを精力的に移植しまくっていた時期だった(まあどの作品も正直なところ苦しい移植ではあったのだが)。
中でもX1用の「ゼビウス」は衝撃的で、ガクガクのドットスクロールではあったが、「ゼビウス」の雰囲気をよく再現していた。
高校進学祝いにX1Cを買ってもらった中学の友人がいたのだが、高1の夏休みにその友人から「ゼビウス」を買ったと知らされたときは、その友人宅に入り浸って遊ばせてもらった。
また、前の記事で書いたが1984年は「ドルアーガの塔」が登場した年であると同時に、ファミリーコンピューターに続々とライセンシーメーカーが参入しだした年でもある。
1984年高1の夏休み、オレは実家の隣町・大垣のショッピングセンターにあるナムコランドで、当時ナムコが無料配布していた小冊子「NG」を手にして非常に驚いたことを未だに覚えている。
なぜなら、その「NG」は「ドルアーガの塔」を大特集していたのだが、表4(裏表紙)に「ナムコ、ファミリーコンピュータにソフト供給、第一弾はギャラクシアン」という広告があったからだ。
当時はファミコン発売から1年後であったが、じつは未だにオレはその当時、ファミコンに関しては「ゲームの華はアーケード、重厚で高精細なゲームはパソコン、ファミコンはテレビにつないで遊ぶおもちゃ」という評価だったのだ。
アーケードの王様である、あのナムコがファミコンに参入かよ! アーケードとパソコンがゲームのツートップ、ファミコンは格下という目線だったオレは、まさに心中複雑。しかし、さすがに注目せざるを得ないようになった。
そして、「パックマン」「ゼビウス」「マッピー」の3本がその年のクリスマス商戦に投入され、学校のクラスメートで、普段ゲームなど遊ばない、いわゆるライト層までもが「ファミコン」「ファミコン」を言いだしたときは、さすがに敗北感というかファミコンの覇権を認めざるを得なかった。
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