高校時代(11)バイブルだったログインとベーマガ
何度も書いているとおり高校は全寮制で外出も限られていたので、ゲーム情報の入手経路は雑誌とクチコミがすべてだった。
そのオレの高校時代のゲームライフで振り返るうえで絶対に外せない紙媒体が、ログインとマイコンBASICマガジンだ。
当時パソコン雑誌はたくさん出版されていたが、情報誌としてはログインが圧倒的に面白かった。母体がコンピュータ系雑誌の老舗であるアスキーから出版されていたこともあってか、インテリジェンスな記事や特集が多くて好奇心をくすぐられた。
その反面、他のパソコン雑誌はホビー色が強すぎたり、アニメ、マンガ、アイドルなどと融合しようとしたりと、ナンパというかテクニカルな要素が少なく見えてしまって、ほとんど読まなかった。
ログインも1987年くらいになるとファルコムのRPG特集や攻略記事が多くなっていくのだが、1985~1986年あたりはいち早くアダルトゲームを特集したり(エロ目的ではなく新聞風に)、堀井雄二のコラムを連載していたり、海外ゲーム特集があったりと、コンピュータエンターテインメントを多角的に捕らえて紹介していて、実に興味深く読んでいた。
テクニカルでマジメな情報を扱いつつも、「いあ〜んバカンス」といったゲームとはまるで関係ない編集部の慰安旅行を記事にしたり、マジメと娯楽が同居する独特の雰囲気があって、本当に面白かった。
その後、ログインからファミコン通信がスピンアウトして創刊したり、本誌も月2回刊行になるのだが、それでもしばらく定期購読していたので、恐らく1990年くらいまでは買い続けていた気がする。
今この記事を書くにあたりWikipediaを見ているのだが、オレが「このパソコン誌はひと味違って面白い!」と目を付けた1985年夏あたりと、編集長にあの小島文隆氏が就任した時期が一致するので、やはり、といったところだ。
マイコンBASICマガジンは中学卒業あたりからずっと定期購読しており、引き続きアーケードゲーム情報と、そして山下章の「チャレンジADV&RPG」が楽しみでずっと読んでいた。
山下さんはベーマガ誌面でアドベンチャーやRPGの魅力を紹介していたのだが、それ以外にも当時から「クリエイティブな才能のある読者を一本釣りしてスタッフ化する」というスカウティングにも積極的だったように思う。
ベーマガはプログラムの投稿雑誌ゆえに、才能ある若者をどんどんゲーム開発スタッフに引き込んでいたようで、それは攻略ライターにも同じことがいえた。攻略のうまい読者を「レスキュー隊」として抱え込み、ライターとして一本立ちするよう教育していたように思う。
アーケードゲームの紹介、アドベンチャーやRPGの紹介、最新8ビットパソコン紹介、ゲームミュージック特集、ハイスコアランキングなどなど、どのコーナーも楽しみで、ゲームマニアのバイブル的存在だった。
ベーマガも、1992年ごろまで読んでいたと思う。
オレのゲーム知識はこの2誌によって叩き込まれたといっても過言ではなく、そしてゲーム雑誌業界への憧れを強く強く抱いた。
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