専門学校時代(12)ナムコ未来研究所ネット
オレが通っていた情報処理専門学校は3年制だったのだが、2年の途中からはほとんど通わなくなり、半ばフリーター状態になってしまった。
リアルでは新宿キャロットに入り浸り、ネットではゲーム系の草の根ネットに入り浸る、という生活が続いた。
特に頻繁に利用していたのが、ナムコ未来研究所ネットだ。ここは当時ナムコのサウンド担当だっためがてん細江氏がシスオペ(システムオペレーター=管理人の意)を務める単回線サイトで、多くのゲーム業界関係者やユーザーが出入りしていた。
1990年の秋頃のこと。当時ナムコのアーケードゲーム「ドラゴンセイバー」のロケテストが新宿キャロットで行われ、その件でオレはこのネットでちょっと問題を起こす書き込みをしてしまう(詳細は端折ります)。
その件はこちらにも非があったのでシスオペの細江氏に謝罪し、まあ雨降って地固まるじゃないけども、結果的に打ち解けて「めがちゃん」「ウメちゃん」と呼び合う仲になった(めがちゃんも田舎が岐阜ということで、その点も打ち解けるきっかけとなった)。
めがちゃんは「ドラゴンスピリット」「アサルト」「ギャラクシアン3」などの楽曲を手がけ、のちに「リッジレーサー」も担当するなど、当時のゲームミュージック界ではHiro師匠、古代祐三氏などと並ぶスーパーコンポーザーだった。
前述した、オレが幹事の「ゲーム業界新宿飲み会」にもよく来てくれて、土曜の終電後、朝まで新宿歌舞伎町の居酒屋で、いもっき、ほりちゃん、海道、やんまたちと語り合っていた。
ゲーム雑誌の編集時代は、何度か取材現場で見かけたりインタビューなどさせてもらったりしたが、最近は会わなくなってしまった。元気だろうか。
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