フリーライター時代(1)学校中退、フリーター
オレが通っていた情報処理系の専門学校は3年制だったのだが、2年の途中からほとんど通わなくなり、3年生になった1990年はほとんど学校には顔を出さずに中退してしまった。
1990年のゲーム事場を当時の思い出とともに振り返ってみよう。
まず家庭用ゲームは、初めてファミコンで「ドラクエ」をプレイした。これは当時専門学校時代の級友Kから「ウメ、お前それだけゲームが好きなくせに『ファミコンは格下』『ドラクエとかプレイしたことない』とかありえないだろ。100万本、200万本売れていて実際面白いんだから、遊べよ!」と強引に勧められ、「ドラクエ4」の発売前日にはKとともに新宿のヨドバシカメラに徹夜して並んで入手、クラスのみんなと競い合ってプレイした。
初めてプレイしたドラクエが「4」だったが、たしかに面白かった。あまのじゃくな性格だったので、この「ドラクエ祭り」への参加に誘ってくれたKには今でも感謝している。
家庭用ゲームは1990年秋にスーパーファミコンが発売となるのだが、当時はメガドライブを応援していたので、すぐには買わなかった。
アーケードではピンボールが最高に面白かった時代で、
アースシェイカー(ウィリアムス)
ブラックナイト2000(ウィリアムス)
ワールウィンド(ウィリアムス)
ローラーゲームズ(ウィリアムス)
ダイナー(ウィリアムス)
リヴァーボート・ギャンブラー(ウィリアムス)
ファンハウス(ウィリアムス)
ドクターデュード(バリー)
バック・トゥ・ザ・フューチャー(データイースト)
チェックポイント(データイースト)
ミュータントタートルズ(データイースト)
あたりの台をかたっぱしからプレイしていた。
パソコンは、8ビット機のX1はFM音源を鳴らす専用マシンと化してしまい、Macintoshの出番が増えてきた。この当時、オレに強烈なインパクトを残したのはMacintosh版「シムシティ」だ。
今でこそ古典的なゲームだが、経営(運営)シミュレーションのハシリとなる本作が遊べるのはMacintoshだけという時代があり、これが遊べるのは鼻が高かった。
新宿キャロット、ピンボール、Mac、パソコン通信、シムシティ、メガドライブ、ゲームミュージック、FM音源、当時のオレはそんなゲームライフにズブズブと浸っていった。
ガチフリーターの時期は1991年の春頃まで続き、3月ごろに転機が訪れる。
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