フリーライター時代(6)ザ・スーパーファミコンとBEEP!メガドライブ
オレが本格的にライターデビューした1991年は、ゲーム業界のライターや編集者の知り合いもどんどん増えていった。
オレは主にソフトバンクのザ・スーパーファミコン、角川のマル勝スーパーファミコン、マガジンボックスのゲームボーイの3誌で書いていたのだが、一番仕事をもらっていたのがザ・スーパーファミコンだった。
この頃のソフトバンク出版部・アミューズメント局は、川口さんがザ・スーパーファミコン編集部とBEEP!メガドライブ編集部の編集長を兼任していて、川口さんはピンボールが好きだったので、「川口さん、オレもピンボール好きなんですよ」と押しかけアピールして覚えてもらった。
なおこの当時はBEメガの副編集長は近藤さんで、のちにドリマガ編集長となる西村さんは、まだヒラ編集だった。BEメガはライターがほぼ固定だったために、ほとんど仕事はもらえなかった。
ザ・スー編集部では北村さん(現SBクリエイティブGA文庫編集長)が当時ヒラ編集で、よくオレに仕事を振ってくれた。
この当時、ザ・スーには南雲くんというアルバイトがいた。南雲くんはこの当時あまりゲームには詳しくなく、もともと須田PINと面識があったのでこの業界に興味を持ち、アルバイトを始めたとのこと。
この当時はまだ印刷技術はアナログの時代で、紙媒体は版下を作って印刷所に入稿していたのだが、ポジフィルムを版下に載せる際に場所を決めるための「あたり」作業という非常にツライ仕事があった。
この南雲くんはザ・スーとBEメガ誌面に使用するポジフィルムのほとんどのあたり作業をやらされていて、雑誌の編集バイトは本当に大変なんだなあと、隣で見ていて同情してしまった。
南雲くんこそ、このつらいザ・スー編集アルバイトをバネに川口編集長の紹介で92年にセガに入社し、さまざまな部署を経てのちにCSプロモーション部パブリシティチームマネージャーとなる南雲靖士氏だ。
南雲くんは、オレがのちにドリマガやゲーマガで無茶な企画を立案したときも快く了承してくれたり、ゲーマガ編集長に就任したときは胡蝶蘭を送ってくれたし、ゲーマガが休刊した際はおつかれ飲み会を開催してくれたりと、本当に本当に感謝している。
南雲くんとは不思議な縁が続いているので、またどこかでバッタリと会うかもしれない。
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