専門学校時代(5)ゲームミュージックブーム、さらに加速
「スペースハリアー」「アウトラン」「アフバーナー」「パワードリフト」「ギャラクシーフォース」「サンダーブレード」などなど、セガの体感ゲームから流れてくるBGMは、これまでのゲームミュージックの概念を大きく変え、いちジャンルを確立した。
まあここで「ゲームミュージックの歴史」などを語り出すと止まらなくなって何のブログかわからなくなるので、詳細は例によって割愛させていただくが、とにかく1988年、1989年あたりはゲーム業界でゲームミュージックが大ブームとなった。
オレは上記タイトルが収録されたCDはもちろん購入して毎日のように聞いていたし、当時ゲーム雑誌にはゲームミュージックの譜面(楽譜)が掲載され、それをパソコンに打ち込んで再現させるという遊びが流行、オレも譜面が掲載されたゲーム誌は必ず購入して、X1turboZ用にアレンジ・移植して楽しんでいた。
そしてついに、世界初のゲームミュージックバンドとなる、セガのSSTバンドがデビューした。
もともとゲームから流れてくる楽曲がバンドっぽい作りでかっこよく、それを日常的に何度も何度もヘビロテして聴いており、そしてその楽曲の作者による生演奏なわけだから興奮しないはずがない。
この当時のCDには作曲者自身による解説が掲載されており、特に好きだった「スペースハリアー」「アウトラン」「アフバーナー」「パワードリフト」「ファンタジーゾーン」の作曲者・Hiro氏の名前もそれで覚えてファンにもなった。
たしかSSTバンドのデビューは1989年2月の新宿厚生年金会館の、メガドライブの販促イベントだったと思う。その前身となる1年前の池袋の「アフターバーナーパニック」イベントをBeep誌面上で悔しく眺めていたオレにとって、このSSTバンドのデビューイベントは感涙モノだった。
その後、SSTバンドは何度かライブを開催、エムザ有明、中野サンプラザ、日本青年館などなど、オレはほぼすべてのライブに足を運んだ。今でいうと「アイドルゲームの声優による生歌ライブ」みたいなもんだろか。
セガの話ばかりになってしまったが、タイトーの「ニンジャウォリアーズ」、ナムコの「ドラゴンスピリット」の曲も大好きだった。
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