予備校時代(7)家庭用ゲームは、やはりスルー
アーケードで画期的なゲームが続々と誕生し、8ビットパソコンではゲームミュージックが注目され始めた1987年の、家庭用ゲーム機にも軽く触れておこう。
なぜ「軽く」なのかというと、当時ほとんどスルーしていたので記憶がないのだ。まずこの年の初頭にはファミコンで「ドラゴンクエストII」が発売されたのだが、家庭用ゲーム機のRPGに興味がなく、受験もあったので、まったくプレイしなかった。
自分のお金で購入したファミコンソフトは、ジャレコの「燃えろ!プロ野球」だけだと思う。オレはこの当時プロ野球観戦にもハマっていて、ちょうど87年は中日ドラゴンズに星野監督が就任して落合が加入した年だ。
なので名古屋はドラゴンズフィーバーにわきあふれ、もともと中日ファンだったオレは、思いっきり影響を受けてしまってジャレコの「燃えろ!プロ野球」を買ってしまった次第だ。見た目は悪くないのだが、まあひどいゲームだった。
ファミコンには興味はなかったが、前にも書いたとおり兄と弟がいたおかげで、「リンクの冒険」「新・鬼ヶ島」などなど、自宅のソフトラインナップは充実していたが、まったく遊ばなかった。
この年はNECからPCエンジン、セガからはマスターシステムが発売になるのだが、どちらも食指は動かなかった。しかし、PCエンジンの「R-TYPE」は完全移植を実現していて(厳密には違うのだろうが、当時のオレからはそう見えた)、ずいぶん感心した覚えがある。
ファミコンよりも、アーケードゲームやX1をいじっていたほうが楽しかったんだと思う。
ゲーム雑誌でのゲームミュージック特集はマイコンBASICマガジンがずば抜けていたが、Beepもそこそこ頑張っていた。
以前も書いたが、Beepは譜面を掲載したりソノシートを付録につけたりと、特集や付録を気に入ったときだけ購入していて、定期購読には至らなかった。
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