カテゴリー:自叙伝
フリーライター時代(8)メタルブラックと「あまいよ、うめちゃん」

1990年ごろ、ベーマガライターのやんまとオレは家が近所ということもあって、月イチくらいでお互いの家に遊びにいっていた。 その当時Macintosh版「パイプドリーム」の2人プレイがじつによくできていて、オレとやんまで一晩中プレイして…
詳細を見るフリーライター時代(7)新宿キャロットのデフォルトメンバー

ザ・スーパーファミコンは、折原光治くん、櫛田理子などがバリバリと記名原稿で活躍していて、新人のオレには面白そうなゲームはほとんど回ってこなかったが、1年ほどライターを続けていたら、レビューなどの仕事も回してくれるようになった。 レビュ…
詳細を見るフリーライター時代(6)ザ・スーパーファミコンとBEEP!メガドライブ

オレが本格的にライターデビューした1991年は、ゲーム業界のライターや編集者の知り合いもどんどん増えていった。 オレは主にソフトバンクのザ・スーパーファミコン、角川のマル勝スーパーファミコン、マガジンボックスのゲームボーイの3誌で書い…
詳細を見るフリーライター時代(5)ソニック・ザ・ヘッジホッグ発売

91年の前半から本格的にライターを始めたのだが、やはり仕事の9割はスーパーファミコンのソフト紹介や攻略だった。 当時のオレはスーパーファミコンは特にほしいとも思わなくてライターをやるうえで仕方なく買ったのだが、あったらあったで「F-Z…
詳細を見るフリーライター時代(4)マル勝でもライターを始める

1991年からライターを始めたオレはすでに後発だったので、大手に売り込みに行くスキルや経験もなく、創刊直後のザ・スーや弱小のゲームボーイくらいしか仕事がなかった。 3~4カ月がすぎた1991年の夏あたり、ライターの仕事も回り出したころ…
詳細を見るフリーライター時代(3)本格的にゲームライターに

その後、Hからはザ・スーパーファミコン(以下ザ・スー)の仕事は回してもらえるようになり、仕方なくスーパーファミコンを購入した。 当時はセガ信者でアーケードがゲームの頂点だと思い込んでいたので、スーファミの雑誌でスーファミソフトを紹介す…
詳細を見るフリーライター時代(2)ついにライターデビュー

90年(当時22歳)の年末から春あたり、新宿キャロットで知り合ったゲーム系ライターのHから「ウメさん、ライターやってみない?」と誘われた。 当時、仕事は新宿キャロットの遅番シフトをやっているくらいで、たしかに時間はあったし、ゲーム雑誌…
詳細を見るフリーライター時代(1)学校中退、フリーター

オレが通っていた情報処理系の専門学校は3年制だったのだが、2年の途中からほとんど通わなくなり、3年生になった1990年はほとんど学校には顔を出さずに中退してしまった。 1990年のゲーム事場を当時の思い出とともに振り返ってみよう。 …
詳細を見る専門学校時代(12)ナムコ未来研究所ネット

オレが通っていた情報処理専門学校は3年制だったのだが、2年の途中からはほとんど通わなくなり、半ばフリーター状態になってしまった。 リアルでは新宿キャロットに入り浸り、ネットではゲーム系の草の根ネットに入り浸る、という生活が続いた。 …
詳細を見る専門学校時代(11) 大阪花博・28人同時プレイギャラクシアン3

専門学校時代は本当に新宿キャロットに入り浸っており、ベーマガライターになったやんまを始めとする常連と仲良くなった。 当時のアーケードでは常連が集まってゲームサークルを結成するのが流行っており、新宿常連はチーム名やサークル名などはなかっ…
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