ゲーム総合誌「ゲーマガ」の元編集長・ウメPが、いろいろ書き散らかします

小中学時代(1)電子ゲーム、ゲーセン黎明期

これからこのブログでオレの職歴を綴っていこうと思うのだが、就職のキッカケだったり経緯などを説明するには、やはり学生時代から遡らざるを得ない。

そして転機となっただいたい大きな出来事(ターニングポイント)もいくつかあるので、そのへんを節目としたい。

1988年上京
1992年セガ入社
1997年ソフトバンク入社(のちに分社)
2004年ゲーマガ編集長に就任
2012年ソフトバンククリエイティブ退社、ドワンゴに転職
2014年ドワンゴ退社

こんな流れになるので、まずは学生時代のゲーム体験から上京までを振り返ってみようと思う。

オレは1968年(昭和43年)生まれで実家は岐阜の穂積町というところ(現在の瑞穂市)。インベーダーのブームは1978年だから当時小学4年生くらいで、以降、コロコロコミックの「ゲームセンターあらし」に夢中になったり、不良のたまり場と認定されてPTAから目の敵にされていたゲームセンターで何度も補導されたりと、よくある普通の(?)田舎のゲーム小僧だった。

1978年(小4)でインベーダーに出会って以降、1980年(小6)くらいまでは、ゲームといえばゲーセンと電子ゲームだった。

ゲーセンでは、「ギャラクシアン」「パックマン」「クレイジークライマー」などなどがヒット。バリバリ遊びまくった――といいたいところだが、当時ゲームセンターは学校で厳しく禁止されていたし、1プレイ100円は小学生には金額が高すぎて、じつはそれほど遊ぶことはできなかった。

もう時効だろうから書いてしまうが、テーブル筐体でコインシューターが古いタイプのものは、コインの戻り口から5円玉を勢いよくシュートすると機械が100円玉と誤認するという裏技があって、そのテーブル筐体を見つけては5円玉で遊んでいた(ごめんなさい)。

一方、電子ゲームは任天堂の「ゲーム&ウォッチ」が大ブームを迎えていたころで、「ヘルメット」「パラシュート」などで遊んでいた。高級ゲーム機はFL(蛍光表示管)系電子ゲームが主流で、オレんちは男兄弟だったこともあり、実家には「FLビームギャラクシアン」「パックマン」「スペースレーザーファイト」などが転がっていた覚えがある。

小6くらいから中1くらいになると、ゲーセンでは「ラリーX」「ドンキーコング」「ディグダグ」「ポールポジション」などなど、上質なゲームがドンドン登場した時代で、コンピュータテクノロジーと娯楽の進化が自分の想像以上で、常にワクワクしていたのを覚えている。

小さな電子ゲームでも「ギャラクシアン」「パックマン」などのゲーセンタイトルの亜流が登場したり、ゲーム&ウォッチでも「ドンキーコング」が登場するなど、ゲーセンタイトルから家庭用という流れはこの頃からすでに鉄板だったのだが、とてもじゃないけどアーケードの迫力や面白さは、そんなFL電子ゲームでは再現することなんてできず、気持ちはまったく満たされなかった。

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プロフィール

本名:梅田浩二。92年セガ入社。AM2研でバーチャファイターなどの広報を担当、97年に雑誌の編集へと転身し、2004年にゲーム総合誌ゲーマガの編集長に就任。アイマス、街、逆転裁判、初音ミク、中川翔子連載、喜屋武ちあき連載、あきまん連載、Beep復刻版書籍などを担当。2012年4月ドワンゴに転職、2014年3月同社を退社。岐阜出身。今一番熱い趣味はコスプレ(イラスト:岩元辰郎)

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