フリーライター時代(2)ついにライターデビュー
90年(当時22歳)の年末から春あたり、新宿キャロットで知り合ったゲーム系ライターのHから「ウメさん、ライターやってみない?」と誘われた。
当時、仕事は新宿キャロットの遅番シフトをやっているくらいで、たしかに時間はあったし、ゲーム雑誌のライターは非常に興味があったのだが、果たして自分に務まるのか今イチ自信はなかった。しかし、Hからは「知識もあるし社交的だし向いているから、一緒にやろうよ」と強烈にスカウトされ、やってみることにした。
ゲーム雑誌のライターは、どんな仕事をするのか、知り合いには元Beepライターのいもっき、そして現役ベーマガライターのやんまがいたので、何となくわかっていた。
まあひとことで言えば、画面写真、サンプルROM、資料、取材などでゲームを紹介・もしくは攻略する仕事である。ただしこちらは駆け出しの未経験ライターなので、紹介するゲームは選べないし、誰もが遊んでみたい大人気のゲームなどは回ってくるはずもない。
また、その当時絶大な影響力のあった雑誌の仕事などはできるはずもなく、Hから回ってきた仕事はソフトバンクから90年秋に創刊されたスーパーファミコンの専門誌「ザ・スーパーファミコン」からの依頼で、紹介するソフトは「イースIII ワンダラーズフロムイース」だった。
しかもこの「ザ・スー」は、創刊からいきなり隔週刊行で、当時扱えるタイトルが少ないのにページ数だけはたっぷりとあり、画面写真がポジで8枚ほど送られてきて、これで2ページ書いてほしいというオーダーだった。
オレは「イース」シリーズの名前は知っていたが、どれもプレイしたことはなかったので、自宅にあった「ログイン」のバックナンバーなどを参考にして、移植のベースとなったPC-88SR版の紹介記事をベースにして、何とか書き上げた(しかも当時は手書きだった)。
何とか入稿し、しばらくすると雑誌が店頭に並び、ほぼオレが書いたままの原稿が掲載されていたのは、うれしくもあり恥ずかしくもあった。
初めてのライターの仕事は、
ザ・スーという創刊したての弱小雑誌
スーパーファミコンに興味なし
「イース」も名前しか知らなくてプレイしたことない
という三重苦でモチベもテンションもちっとも上がらずで、思っていたよりも面白くなかったが、それでもゲーム雑誌の仕事だし、掲載されたときの達成感や喜びは何ものにも代えがたいという充実感はあった。
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