専門学校時代(1)ついに上京
1988年、ついに上京した。
在京大学に進学したかったが、夢かなわずでお茶の水にある某電子情報専門学校に入学した。
正直、コンピュータ系の専門学校ならどこでもよかったのだが、ここはDECのVAXを使ってUNIXでC言語を教えるという、なかなか当時にしては最先端な教育を取り入れていたのと、お茶の水なら秋葉原に近いという、それだけの理由で選んでしまった。
住居は新宿と秋葉原に出やすいという理由で新中野にした。
新宿は日本一のゲームセンター密集地帯・歌舞伎町があるので大好きだったし、当時の秋葉原は家電の街からオタクの街へと変貌する直前で、パソコンショップ、ファミコンショップがぼちぼちと誕生していて、当時から居心地がよかった。といっても、ゲーセンやアニメイトやメイド喫茶などはあるはずもなく、中央通りに3軒のファミコンショップ(3軒並び)が存在する程度だったが。
学校がコンピュータの専門学校だけあってオタクの友人もそこそこできたのだが、何か馴染めず、オレは新宿にあるナムコの直営ゲームセンター「プレイシティキャロット新宿店」に入り浸るようになった。
当時、ナムコは「プレイシティキャロット」の名前で、直営のゲームセンターを都内で展開していたのだ。フラッグシップ店は、巣鴨店、GB高田馬場、新宿店だったのではないかと思う。
プレイシティキャロット新宿店は、それほど有名なハイスコアラーがいるわけでもなかったが、新宿というロケーションのよさと、よく週末はロケテ(ロケーションテスト)が実施されていたので、さまざまなオタクの人種や業界人がこの店に訪れていた。
名古屋から上京してきたばかりの田舎者が、そんなすぐにゲーム仲間などできるはずもなかったが、当時のゲームセンターにはよく雑記帳が置いてあって、みんな「今日の出来事」「自己主張」といったメッセージを残して交換日記風にレスをつけあい、同類・同輩(同廃?)の仲間と知り合っていった。
今でこそインターネット、LINE、SNS、Twitterなどでオタクの同類と知り合えることができるし、オフ会なども頻繁に開催されているが、当時はオタクの社交場はゲームセンターだったのだ。
この雑記帳を通じて少しずつではあるがゲーム仲間が増えてきて、学校が終わった平日の夜、新宿で乗り換える際はわざわざ下車してキャロットに立ち寄るようになり、本当に毎日毎日毎日、終電までキャロットで過ごしていた。
そして1988年夏、オレはキャロット新宿店でアルバイトを始めた。
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